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年を取っている感覚が無かった塾業界時代
私は、約 25 年間、塾講師・家庭教師として、小学 1 年生から大学入試に備える過年度生までを担当させて頂きました。
塾業界に身を置いていると、担当する科目の内容に対する知識はもちろん必要なのですが、比重としてはそれは考慮すべきことの 4 割くらいです。
それよりはむしろ、それをどのように伝えたら効率よく記憶に残るか、それは入試においてどの程度重要かなどを考えることのほうが大事になってきます。また、そうしたことを考えに入れつつ、目の前の相手に対し、入試までの限られた期間で何をどのように達成させていくか、スケジューリングも大変重要になってきます。そしてもちろん、相手のコンディションにも常に気を配っている必要があります。
そういう意味では、科目についての専門家などでは全くないのです。むしろ、スポーツのマネージャーの方が近い仕事になります。
そんな仕事を 25 年続ける間には、担当する教室や生徒さんの状況もありますから、中学生までの内容では 5 教科すべてを担当しましたし、高校内容では、国語と英語を担当しました。
いやもう、これでは全く科目の専門家ではないですよね。
それでも、目の前の生徒さんたちは、いずれ卒業して絶え間なく若返るので、自分自身が年を取っている気が全くしないまま、25 年を過ごしました。いつも若い気持ちで日々を過ごせたことはとてもありがたいことだったと思います。
ただ好きだから古典を読みたい
塾業界で仕事を始めた当初は、主に高校入試に向けて中学生を担当しました。10 年ほどして、高校生を担当したいと思い、家庭教師になりました。そして、高校内容を扱っているうちに、古典の内容そのものをもっと深く知りたいと思うようになりました。そこで、長く過ごした塾業界を離れて、事務系の仕事をしながら、まずは多くの古典を読みました。
ですが、25 年のうちに身についた習性というものは侮れないもので、初めのうちは、「ここはよく出る」とか、「ここは、文法を覚えるのによい表現だな」とか、どうしても読みながらそんなことを考えてしまうのです。
これでは塾業界にいるのと変わりません。
私が高校生だった頃から、優に 30 年は経過している現在も、当時とさして変わらない『徒然草』や『源氏物語』からの一節が教科書には載っています。そして、そんな中で、古典不要論なども持ち上がっています。
その是非は、私にはわかりません。
ですが、私は高校生だった頃、古典が好きではありませんでした。考えるのは好きでも覚えるのは大嫌いな人間にとっては、国語なら現代文の方がなじみます。漢文には哲学的な要素があるので、やや漢文には前向きでしたが、古文は本当に嫌いでした。
そんな私が、今はとても古典に興味を持っています。
古典は多くの人にとって、教科書に載っているもの、それについてテストされるもの、果ては、入試という関門にまで関わってくるものになっています。
ですが、古典そのものは、そんなことを目的に書かれたわけではないのです。
サッカーや野球、音楽や絵画。専門家として、そのプレイヤーになったり、作り手になったりするには、ただ好きなだけではダメでしょう。ですが、観客として「ただ好きだ」というあり方ができます。
古典も、それらと同じように「ただ好きだ」というあり方があっていいものなのです。
華やかに見える一流のパフォーマーになるには、計り知れない努力があるでしょう。でも、観客がいなければ、誰も一流にはなれません。
古典も、ただ好きだから読む人が増えれば、決して死に絶えることはないでしょう。
古典をただ読む。読みたいから読む。読みたいという願望は、そこに自分を満たしてくれる何かがあるから起こるのです。
残りの人生を、そんなふうに古典と関わっていく日々にしていきたいと思っています。
サイトの趣旨
前述したように、私は古典の専門家ではありません。古典そのものに対しては、単なる愛好家です。ですが、こうしてサイトを作り発信するわけですから、古典を読みたいと思えるものにする専門家になりたい、そう言えるような記事を書けるようになりたい、というのが目標です。
と言いつつも、ここに至るまでに紆余曲折があり、また、なかなか塾業界頭が抜けないこともあり、記述にはブレが出ると思われます。
しかし、それもすべてその時点での自分自身がその古典を読んだ、そのあり方なので、訂正すべき内容を含んでいるなどでなければ、大きな修正はしない方針です。
いずれにしても、「読みたいと思える古典」とは、
と規定されないということです。
古文のまま読んで意味がわかるなら、現代語に訳す必要はありません。意味がわからないところがあるなら、チャッチャとググれば問題なし。ここのところを文法的に解説するなんていうのは、基本的にどうでもいい。(ただし、疑問の核心に関わる場合は、徹底的に考えます。)
意味がわかれば、そこで終わってしまうのが規定された読み方です。
しかし、このサイトでは、
とりあえず意味はわかったように思うが、何かひっかからないか?
という、意味がわかってもなお、心の中にわだかまる思いを汲み、考察します。
であれば、人によって巧拙の差はあるでしょうが、内容にそう隔たりはないでしょう。
ですが、
次の文章を読んで、あなたが思ったことを書きなさい。
であれば(本当にどんな些細なことでも、くだらないと思うことでも書いて、と念を入れて言わないと当節の人は遠慮して書いてくれなさそうですが)、インプットされた情報から何を思うかなんてのは、実に千差万別のはず。
それが、読むということ。
規定された読みから古典を解放する。ただ、古典を読む。普段、他のものを読むときにしているように。
つまり、このサイトで私にできることは、今の私がある古典に接したときに思ったこと、考えたことの過程を、できるだけ他者にもわかりやすく表現するということだけです。ただ読むという一例を示すに過ぎません。
扱っている古文・漢文という内容が、「何らかの情報を急ぎで探している人しか検索しそうもないジャンル」であるにもかかわらず、恐らく
です。
古典は、
ために存在しているのではないのです。
読んだ人自身の心に湧き起こることに沿って、読み進める。問いを立てるのも答えるのも、その人自身です。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。よい古典との出遭いを。
2022/06/24 → 2024/07/05 更新 采古炉運営者 gazebo