「諦め」は挫折、「諦念」は悟り。「あきらめ」とは、「明らめ」で、よくわからないことをはっきりさせることだ。
悟りとまでいかなくても、よくわからなかったことがわかった上での「諦め」なら、挫折ではない。無謀な突進をするよりよほどよく、きっと後悔はしない。よく「明らめ」ないで「諦める」から後悔するのだ。
人はいろんなことを「明らめ」てきて、今に至って平安貴族以上の快適な暮らしを庶民の私も享受している。だが、こと人間に関しては、自分自身のことでさえ、「明らめ」ることが難しい。
人はこれほどのことを「明らめ」てきたのに、武器が変わっただけで争いが無くならないのは、具体的な顔を持った人間自身のことを「明らめ」ていないからだ。人はよくわからないものを恐れ、身を守ろうと攻撃的になる。
自分自身のことを「明らめ」ようとすることは、決してムダなことではない。世界平和とまでいかなくても、いつまでも消えない後悔に苛まれることが無くなるだけでも、ずいぶん生きやすくなる。
張飛、督郵を鞭うつ|絵本通俗三国志 巻1(NDLデジタルコレクション)より加工して作成 この記事は、『三国志演義』を江戸時代の人が翻訳した、『通俗三国志』の簡略版に基づく翻訳を中心としています。当サイトで利用している『通俗絵本三国志』の原文をお読みになりたい方は、以下の URL よりご覧ください。今回分…
桃園結義の図|通俗絵本三国志(NDLデジタルコレクション)より加工して作成 この記事は、『三国志演義』を江戸時代の人が翻訳した、『通俗三国志』の簡略版に基づく翻訳を中心としています。三国志演義の大筋の内容を把握するために書き始めました。第 1 回の書き出しのここでは、書き始めるにあたって、私が今改めて『…
昔話として読んだ「こぶとりじいさん」。その話が、『宇治拾遺物語』(巻1-3)に載っている。 同じ昔話でも、「かぐや姫」や「浦島太郎」の物語などを古文で読むと、昔話として知っているものとは微妙に違っていたりする。しかし、『宇治拾遺物語』の「鬼に 瘤 ( こぶ ) 取らるる事」のストーリーは、昔話のものとほぼ…